
先日、外食したら刺身に柿の葉が添えてあった。
色々の色が混在して、えも言われぬ具合に色彩が変化し、神の仕事の見事さに見とれてしまった。
何皿かの柿の葉に一枚として同じものはない。
よく刺身に大葉が添えてあるが、
大葉は虫食いが敬遠されるので農薬を多く使って傷のないものが出荷されるということを聞いた事がある。
当日の柿の葉は、思いっきり虫食いのあるものだった。
だが、その虫食いのカタチさえ趣きがある。
日本全国「モミジ狩り」の季節だが、愛でられる多くはカエデだろう。
確かに秋の澄んだ青空に真っ赤なモミジは美しい。
でも1枚としてみれば、カエデは色も形も単純。柿の葉の微妙な美しさと
存在感には及ばないのではなかろうか。
なぜだろう?なぜ「柿狩り」に行かないのか。
柿の木はかつて多くの家にあった。
あまりにも身近かだからか。
あって当たり前のものの美しさにはなかなか気がつかないのだ。
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